- Tomita Akihiro
滑膜性骨軟骨種症との格闘その1
私が10年ほど前に発症し、今でも慢性ひざ痛に悩んでいる滑膜性骨軟骨種症について、経緯をお話ししたいと思います。
まず、滑膜性骨軟骨種症について紹介します。なお、現在では滑膜軟骨種症と呼ばれているそうです。
膝関節には滑膜と呼ばれる組織がありますが、その滑膜の細胞が軟骨を生成する細胞に変化する病気です。よく半月板損傷などの怪我と間違えられますが、病気の一種です。
異常発生した軟骨が膝関節内に遊離し、ロッキングなどの症状を引き起こします。膝関節内に石の粒やビー玉が生まれるイメージです。
医学的な原因は不明で、治療法は関節鏡手術のみと負担の大きい病気です。
比較的珍しい疾患ですが、患者さんは20代の男性に多く、年齢の経過とともに症状の進行は収まる性質にあります。但し、一度できた異常な腫瘍が小さくなることはありません。
私の経験から、一般的な膝の疾患ではないため町の整形外科で正しく診断されることは少ないと思います。膝専門医を紹介してもらい、細かく検査を受ける必要があります。
発症・急性期
私がこの病気を右膝に発症したのは、2013年の3月でした。
でした、と書きましたが、もちろんその時点でこの病名は知らず、病名を言い渡されるまで約2年かかります。
発症前を振り返ると、学生時代は合気道に打ち込んでいました。その当時から、練習中に右膝に痛みや違和感を覚えることはありましたので、右膝に負担をかけていたと思います。
とはいえ、日常生活に問題ありませんでしたし、週6日の練習も引退までやり遂げました。
初めに発症したときは、急に右膝に水がたまり始め、自転車をこぐたびにかなり内側が痛かったことを覚えています。膝に水がたまったのも、日常生活に支障が出たの初めてで、嫌な汗をかきました。
ただ、これと言って原因が思い当たらなかったので、「少しすれば元に戻るだろう」と軽く考えていました。
そして1週間、2週間と経過しましたが、膝の水はますます溜まり、少し歩くだけでも膝の内側に痛みを覚え、ぶよぶよの膝をひきづって生活していました。
急性期の主な症状は以下の通りでした。
・内側の痛み
・膝に水がたまる
・膝が曲がらりきらない(=正座不可能)
・膝が伸びきらない(=歴然とした左右差)
さすがに何かおかしいと思い、当時住んでいた町の整形外科にかかりました。
レントゲンを撮っても異常なし。触診を受けても、特におかしなところはないといった様子でした。
病名などは告げられず、注射で水を抜いて、痛み止め(ステロイド剤)を注入したので様子を見てください、と返されました。
ステロイドは1週間ほど効果はあったのですが、その後痛みと腫れが戻ってきたので、また受診しました。すると、ステロイドは何度も使えないので、湿布と痛み止めで様子を見てください、と告げられました。
別の整形外科にかかっても、やはり同じような診察を受け、様子を見る以外にできることはなさそうでした。
町の整骨院や整体にも通ってみましたが、特に改善せず、陰鬱とした日々を送っていました。
急性期から安定期(6カ月経過)
半年ほどだましだまし過ごしていましたが、より専門的な機関にかかる必要があると、仕事を休んで少し遠くにあった「スポーツ整形専門」の病院を受診しました。
膝を専門とされている大学教授の診察を受けることができました。レントゲンのほかに、MRIや、リウマチかもしれないと血液検査も受けました。
約1週間後、検査結果を聞きに行くと、「若いのに膝に水がたまるのは珍しい。検査結果に異状はない。あとできることは、検査のために関節鏡手術をすることだ」と言われました。
今思えばこの時点で手術を受ける選択肢もあったのかもしれませんが、「この病気の疑いがある」とさえ言われない段階で手術を受ける決心がつかず、手術は見送りました。
そして、なんとか手術をせずに軽快させたいと、少し遠くの評判の良かった整体に通い始めました。
発症から半年ほど経ったこのころから、少しづつ症状は落ち着き始めました。
整体の効果があると当時の私は思っていましたが、振り返ってみると、急性期を過ぎただけだったのだろうと思います。
発症直後の急性期は、滑膜の細胞が軟骨の細胞に異常に変化していく過程で、炎症を起こして、膝に水がたまるのではないか、と考えています。
とはいえ、少し症状が和らいだことで、日々が少しだけ楽しくなったことを覚えています。
20代にして痛みなく歩ける喜びを味わっていました(笑)
ただ、この裏側では、急性期にできた小さな軟骨腫が膝の中で徐々に大きくなっていたようです。症状は落ち着いても、決して治っていっているわけではありませんでした。
安定期(6カ月目 ~2年程度)
そこから1年半ほどは、地方勤務でした。
急性期は過ぎたと言え、まだ水も少し溜まっているし、膝の痛みや伸展制限もあり、引き続きいろいろな治療を試していました。
当時の私は、「整体で改善するということは、膝関節内部ではなく、周囲の組織が原因では?」と考えていました。今思えば大きな誤りですが。
たまたま転勤先の近所に、「トリガーポイント注射治療」に取り組む整形外科があったので、そちらの整形外科に通院し、太ももなどに注射を受けていました。
劇的な効果があったわけではないですが、ランニングをしたりできるまでに回復していたので、「やめて元に戻ると怖い」という心理もあり、通院を続けていました。
また、症状の長引く患者さんなら誰でも経験があると思いますが、一人の医師では間違えることもあるのでは、という心理になり、セカンドオピニオンというか、ドクターショッピングというか、他の病院にも受診していました。
もう一つの病院ではMRIを撮ってみようとなり、MRIを撮りました。
すると、発症から1年ほど経った頃から、MRIで膝の内部に何か映るようになりました。急性期には特に映っていなかったので、腫瘍の形成が進んでいたんだろうと思います。
ただ、この時もそれが何か、まで断定してくれる医師はおらず、「異物はあるので、関節鏡手術で確認してみましょう」と言われました。
膝に血がたまっていれば、色素性絨毛結節性滑膜炎と診断できたようですが、私の場合は水だったので、診断名は特に伝えられませんでした。
症状が安定していたこともあり、この時も手術の踏ん切りが付きませんでした。
この時点で手術をしていれば、と思うこともありますが、何度も再発しうる病気のため、早い段階で手術をしたからと言って、本当に負担軽減につながるかはわかりません。
激痛から手術へ(発症から約2年)
地方勤務を終え、東京に戻ってきました。するとそこで事件が起きました。
東京駅周辺で飲み会(自分の歓迎会)をしていました。
会もお開きだと席を立とうとした瞬間、右膝に激痛が走りました。膝の中で成長していた腫瘍が関節の良くない部分に入り込み、ロッキングを起こしたのです。
膝が伸びも曲がりもしなくなり、歩くのもままなりませんでした。同僚に迷惑をかけたくないと思い、咄嗟に「お腹痛いのでトイレに行きます。お先にお帰り下さい」と同僚と別れました。
その後、ぎこちない歩き方をしながら、何とか自宅まで電車で帰りました。
痛みと関節が全く動かない恐怖から、「今すぐ治療を受けないとまずいのでは」と恐怖に駆られ、夜間診療をしていた大病院にタクシーで駆け込みました。
命に係わるわけもなく、今思えば不要でしたが、当直の医師に「大丈夫です。明日整形外科にかかってください」と言われ、心が落ち着いたことを覚えています。
翌朝、仕事を休んで近所の整形外科にかかると、「おそらく手術が必要。手術もできる膝の専門医を紹介します。」と、地域の病院に紹介状を書いてもらいました。
直ぐに予約を取り、数日後にそのベテランの専門医の診察を受けました。
MRIやCTを即日受け、「まず間違いなくオステオヒョンドロマトーシス(滑膜性骨軟骨種症)です。腫瘍が挟まってしまっているので、関節鏡手術で取り除くしかありません。悪性ではないので、急ぎませんが」と告げられました。
呪文のような病名に面食らいましたが、ついに診断がついたことで手術の決意も決まりました。
さて、結局ここから通算3回の手術を受けるのですが、その経過については次の記事としたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!